子供の頃、広大な土地にチューリップが咲き誇るオランダの写真を見て、オランダに憧れを抱くようになりました。
「外国に行けるとしたら、一番にオランダに行ってチューリップ畑を見たい!」
それが子供の頃の私の夢でした。
大人になってもオランダは憧れの国で、チューリップは大好きな花です。
残念ながら、まだオランダには行けてませんが。(笑)
ではなぜオランダはチューリップの国になったのでしょうか?
ネットを見ると、「オランダはチューリップ栽培に適した気候」と書いてあるものがたくさんありましたが、そんなことはないようです。
私は、長崎のテーマパーク、ハウステンボスでチューリップ管理の主要な位置に長年いた知人から、オランダがなぜチューリップの国になったのかを教えてもらいました。
今回は、オランダにおけるチューリップの歴史について考えたいと思います。
オランダの土地は痩せていた
オランダは、今でも国土の約3割は海面より低くなっています。
それは紀元前からの海水の浸食作用によるものです。
そして度重なる洪水が人々を苦しめました。
そういう中で干拓事業が発展し、農業を支えてきました。
オランダの国土のほとんどは干拓地なのでやせています。
その土地で小麦を育てるのは時間がかかるので、オランダ農業は酪農や園芸が中心になってきました。
こちらの千葉大学の研究ノート、「オランダ水政策の変遷」も大変勉強になります。
https://opac.ll.chiba-u.jp/da/curator/900118781/11tsunoda.pdf
オランダにチューリップがやって来たのは16世紀
チューリップはトルコからオランダにやって来た
チューリップはもともとはトルコやイランが原産地
だそうです。
16世紀にトルコの皇帝が国内で栽培されたチューリップをオランダの外交官に送ったのがきっかけとなり、オランダでのチューリップ栽培が始まりました。
チューリップが育つには冬は凍らないほどの寒さと春の暖かさ、そして十分な雨量が必要です。
「オランダの土壌はチューリップが育つのに適していた。」とよく言われますが、実は、北国のオランダの気候は年によって変動し、寒波が度々襲い、降雨量も十分ではありません。
ではなぜオランダが世界一のチューリップの生産量を誇る国になったかと言うと、チューリップを育てるために土木工事をし、熱心な研究によって栽培技術を向上させてきたからだそうです。
オランダ人の几帳面さと創意工夫を続ける国民性が、チューリップの生産と品種改良を進めてきたのですね。
こうして、チューリップはオランダの富裕層に人気の花になり、どんどん広がっていって、今やオランダの国花にまでなりました。
チューリップ・バブル
「フローリスト」と言われる園芸愛好家達がチューリップの栽培や品種改良に励み、その球根は信じられないような高値で取り引きされるようになります。
そして1630年代のオランダで、チューリップは富の象徴となり、富裕層の間でもてはやされ、何と家が一軒買える程の高額なチューリップも現れました。
チューリップは投機の対象となり大儲けをする人も現れました。
しかし、ある時突然、チューリップ価格は大暴落してしまいます。
これが「チューリップ・バブル」と呼ばれるものです。
人々はパニックに陥り、チューリップが嫌いになったとも言われています。
世界一のチューリップ生産国へ
しかし、今までに培った栽培技術により、オランダのチューリップ栽培はその後も発展してきました。
そして今や、チューリップ生産世界一の国になったのです。
オランダはチューリップの輸出量も世界一で、日本にもオランダのチューリップがたくさん輸入されています。
長崎のテーマパーク、ハウステンボスはオランダの街並みを再現していて、春になるとたくさんのチューリップが咲き誇ります。
ハウステンボスには同名の「ハウステンボス」という品種のチューリップがあります。
これは日蘭交流400周年を記念して、2000年に発表されたものです。
もともとは、オランダの育種家が長年に渡り改良を重ねてできあがったチューリップなのだそうです。
オランダのチューリップの歴史は、今、私達が住む日本に嬉しい影響を与えているのですね。
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